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『あばずれ』(〔Sharp, p.17.〕〔Secret Hot Spring Resort: Starfish at Night / Mamoru Watanabe , テッサロニキ国際映画祭 、2015年6月3日閲覧。〕)は、1965年(昭和40年)製作・公開、渡辺護監督による日本の長篇劇映画である〔〔〔渡辺護、監督デビュー作『あばずれ』(65)を語る 、渡辺護公式サイト、2015年6月3日閲覧。〕〔監督デビュー作『あばずれ』(65)のストーリーなど 、井川耕一郎、渡辺護公式サイト、2015年6月3日閲覧。〕〔渡辺護 はじまりから、最後のおくりもの。 、神戸映画資料館、2015年6月3日閲覧。〕〔''あばずれ''、日本映画データベース、2015年6月3日閲覧。〕。製作元の扇映画プロダクションの第1回作品、渡辺護の第1回監督作品である〔〔〔〔。長年、原版もプリントも存在しないとされていたが、2014年(平成26年)に16mmフィルム短縮版の上映用プリントが発見されたことでも知られる〔〔。 東映東京撮影所が同作の翌年に製作した『あばずれ』(監督渡辺祐介、主演緑魔子)とは無関係である〔、2015年6月3日閲覧。〕。 == 概要 == === 製作時の経緯 === 1965年(昭和40年)4月、新しい映画製作会社・扇映画プロダクションを設立した斎藤邦唯〔田中, p.85-86.〕(1929年 - 〔キネ旬, p.137.〕)が、同社設立前に製作に携わった『悶える女子学生』(監督南部泰三、1964年11月公開)の現場で知り合った当時助監督の渡辺護に、成人映画を撮れる監督の紹介を依頼、渡辺はかつて師事した西條文喜(1921年 - 1988年)を推薦した〔。斎藤はもともと文学座出身の俳優であったが、スタッフに転向していた〔〔〔。渡辺は、西條が監督する前提で、脚本家の吉田義昭(1932年 - 1989年)とともに脚本を準備するが、脚本完成段階で西條が降板、急遽、渡辺が監督に起用されることになったという〔。渡辺の回想によれば、同作の構成は、西條のための脚本の段階でも『雪之丞変化』(監督衣笠貞之助、原作三上於菟吉、脚本伊藤大輔)であったが、自分が監督すると決まった段階で、それを強化し、さらに改稿したという〔。 スタッフ編成にあたり、マキノ正博が撮影所長であった時代の松竹下加茂撮影所出身の監督である関喜誉仁(1923年 - 没年不詳)が尽力、撮影技師として竹野治夫、照明技師として村瀬栄一が参加した〔。竹野は富国映画社で1932年(昭和7年)に技師に昇進、第一映画社や新興キネマを経て、関と同時代に松竹下加茂撮影所でキャリアを積んだヴェテランであり〔、2015年6月3日閲覧。〕、村瀬は『酔いどれ天使』(監督黒澤明)のチーフ照明助手を務め〔、『二宮尊徳の少年時代』(監督村山新治)や『東京オリンピック』(総監督市川崑)といった記録映画・文化映画の照明を手がけたヴェテランであった〔、2015年6月3日閲覧。〕〔渡辺護『あばずれ』の照明は村瀬栄一 、井川耕一郎、2013年2月14日付、2015年6月3日閲覧。〕。クレジット上は吉田義昭は「吉田貴彰」、竹野治夫は「生田洋」、村瀬栄一は「村井徹二」といった変名を使用し、関喜誉仁は「沖弘次」の名で「監修」に名を連ねた〔〔。音楽の小谷松実は、同作以降も『紅壺』、『浅草の踊子 濡れた素肌』、『うまず女』、『絶品の女』といった渡辺の初期作品の音楽スコアを書いた人物である〔、2015年6月3日閲覧。〕〔小谷松実 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月3日閲覧。〕。録音技師を務めた杉崎喬(1935年 - )は、当時は東京録音現像に所属したスタジオエンジニアであり、のちにニューメグロスタジオの常務取締役を務めた〔佐藤, p.323.〕。編集技師の宮田二三夫は、1962年前後から1971年前後まで、多数の独立系映画の編集を務めたことがわかっている〔、2015年6月3日閲覧。〕〔宮田二三夫 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月3日閲覧。〕。 キャスティングに関しては、渡辺は当初、吉田が脚本を書いた『日本拷問刑罰史』(1964年)の森美沙を考えていたが、同作の監督の小森白を訪ねたところ、小森白プロダクション(のちの東京興映)で囲い込んでおり、貸出し拒否された〔。さる芸能事務所に所属する飛鳥公子を扇映画プロダクションの事務所に呼び、面接をしたところ、渡辺が冗談半分に「よく映画で見るとさあ、パンティーが不潔だったりするのあるからなあ。きれいなパンツはいてんだろうねえ」と言うと、飛鳥は「失礼ねえ。きれいかどうか、じゃあ、見て下さい」とその場でスカートをまくりあげたという〔。飛鳥の義母役の左京未知子については、かつて上野の大蔵貢系の映画館の支配人であった大島という人物が交渉し、決定している〔。左京は、撮影終了後、新人監督の渡辺に対し「あんた、いい監督になるわ。もっと早くあんたに会いたかった」と言ったという〔このシーンで渡辺護さんは左京未知子に「悪女が悪女ですって顔をしていたら、悪女になんねえよ」 、井川耕一郎、2014年12月8日付、2015年6月3日閲覧。〕。 井川耕一郎によれば、同作は俳優の伊豆肇が出資したという〔。伊豆は、同作の前年、自ら監督した成人映画『おんな』を発表している〔〔、2015年6月3日閲覧。〕。井川によれば、渡辺が使用した同作の印刷台本には『十七才の殺意 処女残酷』という別題が、手書きで記されていたという〔。 同作は、同年6月、新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給、公開された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あばずれ (1965年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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